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プロフィール(詳細版)

なぜ、プロフィールを2つ作るか。
私は詳細版をメインと考えています。
しかし、忙しい方がたくさんいますので、一見してわかるよう簡易版を作りました。
では、くどいプロフィールを作るか。
それは、単なる個人的な憤りからです。
ブログのタイトルも「本物」と「偽物」に関するものですが、士業、コンサルの仕事を始めて、偽物が多すぎることを知り、私のリミッターが外れました。
開業1年で「経験豊富」とか(開業前に他の事務所で修業しているケースもありますが、それはごくまれです。)、素晴らしい賞を受賞したとか(実際は全然大したことない。)、大した業績もないのに「業績あり」など、あまりにも詐欺まがいな宣伝文句が多いことに非常に怒りを感じました。

そこで、私は少なくとも「ウソ」のない情報を提供して、その情報からご判断していただけたらと思っています。

あとは、当然ではありますが、プロの仕事は肩書きやスペックではなく結果と実績で語るものだということで、お客様の納得できる結果と実績を出していきます。

経歴

 氏  名  大 北 晋 也 (おおきた しんや)
 生年月日  昭和46年(1971年)11月2日
 出 身 地   千葉県船橋市(出生地 京都府京都市)
 趣  味  最近は仕事(営業、企画、執筆)、読書
       過去やっていたもので再開したいのは、ランニング、テニス、 水泳、将棋、カラオケ、マンガを読む、国内旅行、ネットゲーム、バンド、ライブ回り、ドライブ
       新しく始めたいもの、フットサル、バスケットボール、トライアスロン
 特  技  斜め45度からの社会批判、一人カラオケ、妄想、企画づくり

事務所開設までの経歴

○昭和62年(1987年) 千葉県立八千代高等学校入学
陸上部に加入、授業はサボる、勉強にもムラがある(やる気になればやるがやる気が出ないとまったくやらず)ため、留年になりそうな危機を何回か迎える。
かろうじて卒業
高校生は理系(農学部志望)でいたが、センター試験で挫折、めでたく浪人生第1号になる。東大受験を志すものの、2週間で挫折、農学部から法学部へ転身する。

○平成2年(1990年)  千葉県立八千代高等学校卒業
貧困家庭のため予備校に行けず、自宅浪人1年し、大学受験に臨むが、第一希望から第五希望までことごとく全滅する。
かろうじて1校だけ受かり、親不孝者にならないと安堵する。

○平成3年(1991年)  学習院大学法学部政治学科入学
最初は「大学は勉強をするところだ」という信念にたつものの、ゴールデンウィークで決意崩壊し、典型的なバカ大学生に染まる。朝までカラオケ、友人宅ツアーで家には週1日しか家に帰らず、講義に出ればナンパするような自堕落な日々を過ごすことが多かった。
しかし、奨学金を取る必要があったため、一応、勉強をがんばり、無利子の奨学金を借り受けることに成功。
その後、ぐうたら生活に磨きがかかり、留年しかかる。しかし、運良く大学が再試験をやるよう指示があり、再試験を受け、かろうじて進級する。この時の勉強が今でも人生一番勉強したと今でも思っている(その時のヘビロテがZARDの負けないで。)。
一方で学内論文コンクール佳作に入ったり、私立文系3科目受験のくせに、5科目受験を推奨する意見を学内で発表したりと破綻した生活を送る。
ゼミは、いわゆる名門ゼミに入るのを拒否(おそらく希望しても入れなかっただろう)し、新進気鋭の教授(当時助教授)の国際政治ゼミに入る。
このゼミの特徴は「来る者拒まず。去る者追わず。」で、定員を設けず、来た人間は受け入れるが、容赦ない量の課題のため、ほとんどが脱落するサバイバルゼミで、最初50人以上参加していたのが、1年後には1桁になっていた。
教授のスタイルが好きだったこともあり、大変ではあったが苦痛には感じず最後まで生き残った。
当時、根拠のない自信があったため、就職活動は一切せず、国家公務員採用Ⅰ種試験(過去、上級職、現在、総合職)のみ受験、不合格のため、就職浪人する。

○平成7年(1995年)  学習院大学法学部政治学科卒業
卒業式の日=地下鉄サリン事件の日ということで忘れられない日となった。
1年就職浪人し、再チャレンジする。農水省に「合格したら採用」という段階まで行ったものの、不合格のため水泡と帰す。
さすがにこのときは、奨学金の返済(総額350万)があるため、就職しないといけないと思い、就職するなら人の顔が直接見える市役所で仕事をしたいと考え、船橋市役所を受験、運良く拾ってもらう。


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